Yes Peace! アースデイ東京 NPO法人世界ヒバクシャ展関連企画
◆広島の体験を聞き、福島の今を知る
戦後70周年の今年、Yes Peace!を掲げたアースデイ東京で、広島の被爆者・服部道子さんに被爆体験を、福島のお母さんと子どもたちに、福島の今をそれぞれ伝えてもらいます。貴重な歴史の証言や、日々、悩みながら、汚染と向き合って生きる子どもたちの生の声を伝え、ヒバクや平和について考える4つのステージ企画に、ぜひおいでください。(敬称略)
※開催場所が2ヵ所に分かれていますので、お気をつけください。
◆プログラム
(代々木公園けやき並木・オフィシャルトークステージ)
◇えっ、もしかして、私もヒバクシャ!?
4月18日(土)11時~11時45分 出演 本田歩(第17代高校生平和大使) あべじゅんの3人の娘たち 首都圏の若者たち
福島第一原発事故では、首都圏にも大量の放射能が降り注ぎました。ある意味で、私たちは、みんな被曝者なのです。首都圏の子どもたちが福島の子どもたちから、福島第一原発事故後の暮らしについて聞き、首都圏と福島に住む若者たちの、放射能への向き合い方の違いなどを話し合います。
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(代々木公園イベント広場・野外ステージ)
◇TALK「被爆体験を次々世代に引き継ぐ」
4月18日(土)13時~13時45分
ゲスト 服部道子(広島の被爆者)
聞き手 福島の子どもたち
広島、長崎に原爆が投下されて70年。広島の被爆者、服部道子さんに、福島の子どもたちが、被爆体験やそれを伝える活動などについて聞きます。服部さんは、自ら被爆しながら、被爆者たちを必死で看護し、戦後も被爆者への差別の中、移住先の福島などで厳しい暮らしをしてきました。トークでは、広島の被爆と福島の被曝の共通点や異なる点についても語り合い、放射能とどう向き合い、生き抜くかを、世代を超えてともに考えます。
(代々木公園イベント広場・野外ステージ)
◇伝えたい! 福島の今
4月18日(土)15時~15時45分
ゲスト あべじゅん(シンガーソングライター)と3人の娘たち
本田歩(第17代高校生平和大使)
Nice Shots
福島県郡山市在住のシンガーソングライター、あべじゅんさんが、福島での原発事故後の暮らしや仕事をテーマに作詞し、みながわじゅんさんが作曲した作品から「フクシマ人だから言えること」 「いとしい娘(あなた)たちへ」などを披露。3人の娘さんや高校生平和大使の本田歩さんと、放射能の影響について自由な意見を言いにくい福島の雰囲気など、福島の今を語ります。Nice Shotsは、原発事故後に作った「人類一万年」を演奏します。
あべじゅんさん親子
本田歩さん
(代々木公園けやき並木・オフィシャルトークステージ)
◇NEXTジェネレーション② Yes,Peace! に生きる選択をしよう 4月19日(日)16時15分~ ナビゲーター ハッタケンタロー(一粒合同会社) 出演 Yae(半農半歌手) 森下美歩(NPO法人世界ヒバクシャ展代表) 本田歩(第17代高校生平和大使)
場所が違っても、それぞれの「平和」の姿を見て・感じて・考えてきた3人が、種まき大作戦のハッタケンタローさんのナビゲートで、世代を超えて、Yes,Peace!に生きることを選択するための気付きと発見を提供していくトークです。
◆服部道子さんのプロフィール
埼玉県在住。16歳の時、看護の仕事を始めたばかりの軍医部で被爆し、死の淵の人々を必死で看病した。戦後すぐに、広島を離れて、青森県、宮城県、福島県、東京都などで厳しい生活を送った。病魔にも何度も襲われたが、被爆体験を後世の人に伝えようと、50代から始めた語り部の活動は30年を超える。2013年3月から「非核特使」として約4ヵ月にわたってピースボートに乗船し、世界各地で核廃絶を訴えた。
※服部さんの詳細な証言は、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会のWEBに掲載されています。
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◆本田歩さんとあべじゅんさんのメッセージ
本田歩 18歳 高校生平和大使
デイズジャパンの元編集長の言葉、「人間の尊厳が奪われている場所は人間の戦場である」この言葉が福島に住むわたしの胸に突き刺さった。なぜか…。それは、福島県では人間の尊厳が損なわれるような問題が多々起きているからである。
とりわけわたしが気になっているのは、放射能や汚染に関する自分の意見を表明しにくいということ。震災は過去のものだし、第一、福島県で生活することに問題はないという人々の意見や風潮が、放射能などについての自由な意見を言いづらい、抑圧された雰囲気を作っている。
二つ目に、原発事故後の福島県に対する県内の人同士の考え方の相違が差別や軋轢を生じさせている。事実、わたしの友人は、地産地消が進められている給食を食べる代わりに学校で手製のお弁当をたべていたところ、周りから「あなたみたいな人が風評被害を広げている。福島県の復興を妨げるなら県外に行けばよい」などと侮蔑されたそうだ。
確かに復興を進めることは大切だ。福島県で奮闘する農家などへ協力をするのは聞いていて気持ちが良いものだ。しかし、風評被害を払拭し福島の復興につなげるという名目の下に、違った認識を持った人を大げさにいえば排除してしまおうという考え方はいかなるものなのか。など、福島が抱える問題点などを説明しながら、わたしがここ二年あまりしてきた活動についてもご紹介したい。
あべじゅん
43歳です。3人の娘の母です。
介護職のシンガーソングライターです。
皆さん、目を閉じてイメージしてみて下さい。福島県の海岸沿いは、荒涼とした景色が未だに続いています。倒壊した家屋はそのまま朽ちて、田んぼだった土地には除染のフレコンバックだけがどんどん増え続けています。自宅があっても帰る事ができず、狭いプレハブの仮住まいで、明日が見えないまま暮らし 続けています。未だに自宅に帰れない避難者は13万人。緑豊かな野山、近所の公園や自宅の庭、あらゆる場所に放射性物質が飛び散り、私たち住民は測定しては除染するのを繰り返しながら、たたかいつづけています。放射性物質は全国各地に飛散し、海にも流れ続けています。
最大最悪の大規模な環境破壊の公害が原発事故です。もうこりごりです。環境問題に関心を持って集まるアースデイ東京の来場者に、私たち親子の体験を綴った歌とお話を聴いて頂ければ幸いです。大人の責任として、子どもたちに原発のない地球を手渡したいですね。
◆Nice Shots(ナイスショッツ)の人類一万年
ボディペイント×DJのパフォーマンスをしていたDJの蜻蛉(トンボ)と絵描きの夢以(ムイ)のヒップホップユニット。『人類一万年』は、震災後初の夏、九州に拠点を移したMCムイちゃんと関東に残ったMCトンちゃんが東京で再会し、祈るように音を出しながら一晩で作った曲。絶望に埋もれそうになる一粒の愛を取りこぼさず、君と一緒に生き残りたいという、儚くも強いメッセージ性と乗りやすいレゲエのメロディーが好評を呼んでいる。
放射能と向き合う
福島のママと子どもの
声を、東京 に伝えたい
緊急カンパのお願いです
福島の子どもたちとお母さんを、4月に開催されるアースデイ東京に招待し、原発事故から4年が経過した福島の今を伝えてもらいたい! 日々、悩みながら、放射能と向き合って生きる子どもたちの声を、たくさんの人たちに届けたい! 貴重な体験を語ってくれる子どもとお母さんを暖かく迎えたい! 旅費、滞在費、お小遣いなどのカンパをお願いします。
福島県から来てくれるのは、高校生平和大使を務める本田歩さん(18歳)と、ケアマネージャーをしながらシンガーソングライターの活動をしているあべじゅんさん(43歳)と3人の子どもたちです。アースデイ東京の野外ステージ、トークステージなどでいくつものプログラムに参加して、首都圏の人たちに生の声を届けます。
ご寄付のお振込先
郵便振替口座 00170-5-127199
NPO法人世界ヒバクシャ展
※福島寄付とお書き添えのうえ、お送りください。
We know that the Russian attack on nuclear power plants in Ukraine and nuclear threats are causing many of you to feel an unprecedented sense of urgency.
Although we, too, feel helpless, we have been thinking about what we can do as a non-profit organization, the World Hibakusha Exhibition, and have decided to provide you with a symbolic photographs.
These photographs, titled "Hibakusha: Hatsuko Tominaga" and "Hibakusha: Motoyo Fujiwara," are the work of Ittetsu Morishita, a photographer who took photographs of Hibakusha in Hiroshima and Nagasaki for nearly half a century and died last year. Ittetsu Morishita founded the World Hibakusha Exhibition 20 years ago with the aim of raising public opinion for a nuclear-free world.
The following two photographs are provided.
Photo 1: TOMINAGA Hatsuko
1914-2002/Hiroshima Hibakusha
The white specks in her eyes are atomic cataracts.
A sharp pain runs through her body constantly, causing her to distort her eyebrows.
(1977, Eba, Hiroshima MORISHITA Ittetsu)
Photo 2: FUJIWARA Motoyo
1894-1989/Hiroshima Hibakusha
When the atomic bomb was dropped on Hiroshima, Ms.FUJIWARA, who was helping to evacuate the city, was working near the Fukuya department store, 600 meters from the hypocenter.
Her five-year-old daughter and seventeen-year-old son died one month after the bombing. After that, she was alone and working hard, until becoming ill at the age of 91.
In this photo, you can see scars and burns on her arms and hands; they caused her much pain, especially in winter.
(1977, Hakushima, Hiroshima MORISHITA Ittetsu)
These photos, along with "Stop attacks on nuclear power plants!", "Don't use nuclear weapons!", "Don't threaten with nuclear weapons.", and "Peace in We thought that by having messages such as "Ukraine!" used together, we could contribute to sending a strong message around the world.
These photos are representative of a series of photos of A-bomb survivors that won the Grand Prix for the Peace and Nationality Award in the International Documentary Art Photo Contest "Humanity and Peace" to commemorate the 60th anniversary of the USSR.
I would like to think that it was some kind of mistake to use works that were appreciated by the Russian people on these occasions, but I am sure that many of the Russian people never wanted war either.
We, with all people, would like to overcome the nuclear crisis and see peace return to Ukraine.
If you wish to use them, please download the photos below.
We hope that these photos, which are filled with the thoughts and feelings of the Hibakusha, will be of some help to you.